「おはよう」の幸せ または 幸せ水準について。
年を追うごとに幸せ水準が下がってきてるように思います。
宝くじ2億円に当たったら幸せなのに~って思うと
幸せを感じる日って程遠いなあって思うのだけど(笑)
とりあえず
生きてるだけで幸せって思うと
「今」幸せ。
雨風しのげる家に住めて
暖かいお風呂に入れて
とりあえず今日のご飯も食べられそうだし
誰かに命を狙われてもいなさそう
トイレも壊れてないし
あぁ、幸せ。「今」とりあえず幸せ。
多分現代人は昔のお殿さまよりはるかに
快適な生活をしてると思う。
心が疲れてきて
余裕がなくなると
誰かを羨ましく思ったり
ちょっとのことに腹がたったり
出口が見えない不安がわいてきたりしたら
幸せ水準を見直してみる
そうすると
ありがたさを思い出す・・・・ような気がする
それでもって
転勤族になって時々こみ上げる幸せを感じる時があります。
それは道端で。
引っ越し直後って当たり前だけれど
この土地の誰のことも知らないし
誰も私のことを知らない。
その土地のだあれとも話すこともない。
広い世界の孤独な自分を客観的に眺めてしまうわけです。
よくテレビなんかで出てくる
横断歩道をわたる雑踏の中で立ち止まる一人の人間。を見るような感じ(笑)
(もちろんすぐ友だちに電話したりメールしたりして癒してもらってるのだけれど。)
でもじわじわと知り合いができ、友だちが出来
道端で知り合いにあって
「おはよう!」と言葉を交わせるときに
当たり前のように挨拶をかわせる人がいてくれる~と
誰とも言葉を交わさないときを思い出して
ありがと~私におはようって言ってくれて、あたしゃ嬉しいよ~!と
道端で自転車こぎながら空を見上げて無言で感激しちゃうアラフォーに変身。
おはようの一言で人を幸せに出来るときもあるなぁと
しみじみかんじるのでした。
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